【試読】日本酒女子と小悪魔男子のSAKE Spring

 地下鉄東山駅を出て、京都勧業会館みやこめっせを目指す道行きは、紅葉シーズン真っ盛り。ひんやりとした空気感だが日差しもあって、絶好のお出かけ日和になっていた。
(こんな日に朝からお酒を飲みに行くなんて、ちょっと背徳感あるかも……?)
 重森絢子は今日、日本酒の試飲やお酒に合うフードメニューが楽しめる「SAKE Spring」に参加するべく「みやこめっせ」を目指していた。秋なのにスプリングとはこれ如何に? という感じではあるが、そういうイベント名であり、前回は七月に開催されている。
 平安神宮の大鳥居が見え、京都国立近代美術館の横を過ぎると、府立図書館のそばの公園がある。絢子はここで待ち合わせ相手と合流予定だ。
 本日の同行者となる大学生たちは先に着いていたらしく、絢子を待っている様子が見えた。絢子の姿に気づいたらしい向こうが手を振ってくれている。

「おはよう、涼花ちゃん、宮田くん」
 待ち合わせ場所の公園で待つ二人と話ができる距離まで来たところで絢子は挨拶する。
 最初の予定では絢子と涼花と二人で行くはずだったのだが……後日、涼花から連絡が入り、宮田樹希も加わることになった。宮田もまた「はなり亭」でアルバイトをしている大学生で、涼花の後輩でもある。
「おはようございます、重森さん。今日はよろしくお願いします」
 絢子に挨拶を返す涼花は、深々と頭を下げてきた。
 一方、もう一人の同行者である宮田は、絢子に軽く会釈したもののなんとなく素っ気ない。アルバイト中はそれなりに愛想良く振る舞っているし、その辺のアイドル顔負けな美男子なのだが、絢子に対しては淡泊な態度を取ってくるのだ。
(まぁ、宮田くんの立場からすると、私はお邪魔虫なのかも……)
 二人の関係がどの程度のものなのか、絢子は把握しきれていないが、宮田が涼花に対して好意を寄せているのは気付いていた。だから宮田としてはこんなふうに三人ではなく、涼花と二人きりでイベントへ行きたかったに違いない。
 とはいえ、今日はもともと絢子と涼花の二人で行くと話がまとまっていたところに、宮田が割り込んできたという経緯であり、お邪魔虫なのは宮田のほうとも言えるのだが。

 三人そろって「みやこめっせ」に入り、受付で試飲用のグラスにお酒券十五枚とフードチケット二枚を受け取って会場に入る。ただし、涼花より一学年下になる宮田はまだ二十歳でないため、試飲なしでの参加だ。今回のSAKE Springでは、お酒を飲まない人も一緒に入れるよう、試飲なしのチケットも販売されていた。試飲なしの場合は専用のリストバンドが渡され、誤ってお酒を飲まないよう配慮されている。
「専用のグラスがもらえるんですね。家で飲むときにも使えて便利そう」
 試飲グラスを手にした涼花は、ちょっとしたお土産が手に入ったことを喜んでいるようだ。
「そうなのよ。だから、こういうイベントに行く度に家の酒器が増えてしまうのよね」
 こうした試飲イベントでは専用の酒器としてお猪口やグラスが渡されることも多い。今回の試飲用グラスには、イベントのロゴと共に紅葉や銀杏などが描かれている。前回、七月に開催されたときは花火が描かれたグラスであったし、季節感あるモチーフを使っているのは良いなと絢子は思った。

渡辺涼花のSAKE Spring

 それは涼花がいつものように「はなり亭」でアルバイトをしていた日のことだった。時折、一人飲みに来てくれる女性客・重森絢子をカウンターの席に通し、彼女の日本酒好きを考慮しながら接客していると、店主の御厨喜孝と会話がはずんでいる様子。何の話をしているのかと窺えば、どうやらお酒が試飲できるイベントの話で盛り上がっているようだった。
「僕もこういうイベントで試飲したり、料理との相性見たりとかしたいんやけど、夜に店開けれんくなるさかい、行かれへんのですわ」
「確かに……お酒を試飲した後でお店の仕事ってなると大変ですよね。かといって週末にお店を休むのも悩ましいですし」
 二人の話によると、来月「みやこめっせ」にて日本酒の試飲や料理とのペアリングが楽しめるというイベント、SAKE Springが開催されるらしい。
 二十歳の誕生日を迎え、お酒が飲めるようになってからというもの、涼花も少しずつ日本酒の味を楽しんでいるが、飲み比べできる機会はなかなかない。こういったイベントに行けば、色々なお酒を少しずつ試せて、もっと日本酒を知る機会になりそうだ。
 しかし試飲イベントは涼花にとって未知の場所。一人で参加するのは何だか気が引けてしまう。かといって一緒に行こうと誘える友人は、今のところ思い当たらない。大学の友人・知人はお酒を飲まない者も多く、飲んだとしてもビールやワイン、果実酒などがほとんど。日本酒を飲む同世代の知り合いに心当たりがなかった。
 それに開催は土日だというから「はなり亭」のシフトに入る可能性もある。お店の営業時間は夕方から夜の時間帯なので、イベントの後でも間に合うと思うが、お酒を飲んだ後でのアルバイトはちゃんと働けるか心配でもあった。
 そんなことを考え、どうしたものかと思いあぐねる涼花に、御厨から声がかかる。
「せや、涼花ちゃんもサケスプ行ってみたら? 色んなお酒、ちょっとずつ試せるし」
「え? でも、土日だったらバイトもありますし……」
「僕と違て涼花ちゃんは料理するわけやないし、若いんやし、夕方からのバイトやから大丈夫ちゃう?」
「大丈夫、ですかね?」
 御厨は気楽に言ってくれるが、涼花は当日のアルバイト以外にもう一つ、一緒に行く相手が居ないという不安がある。
「そういう試飲ができるイベントって、面白そうだから行ってみたいなって思ってたんですけど……」
 そんな言葉を続けると、御厨は思いがけない提案をしてきた。
「何やったら重森さんと一緒に行ったら……あ、重森さんの都合も聞かんと、すんません」
 勢いで提案してきた御厨だったが、同行させられる重森の許可を取っていないと気付いて断りを入れる。
(重森さんと一緒に、日本酒のイベント……!)
 こんな風に颯爽と一人飲みを楽しめる大人の女性になりたいと、涼花にとって重森は憧れの存在だ。その人と一緒に日本酒の試飲イベントだなんて、絶対楽しいに決まっている!
 でも御厨も言うように、重森の方はどう思うだろうか?
 つい最近、日本酒が飲めるようになったばかりの大学生と一緒に行くよりも、一人でゆっくり楽しみたいかもしれない。あるいは彼女に相応しい、素敵な大人の同伴者がもう決まっているのかもしれない……。
 そんな涼花の不安をよそに、重森は御厨の提案を快諾する。
「いえ、別に。私は構わないですよ。涼花ちゃんと一緒に行くのも楽しそうかなって、思います」
(えっ? いいの??? 重森さんと一緒に、お出かけできるの?)
 重森の発言に涼花は踊り出しそうなほど嬉しくなる。
「どうかな、涼花ちゃん? 私でよければ一緒に行くけれど……あ、でも、涼花ちゃんも大学の友だちとか誘うなら、別に私は一人で行くのでも構わないし」
「いえ、そんな! 大学ではお酒を飲む知り合いがそもそも居ないですし、誘える相手も思いつかないので。でも、重森さんのご迷惑なんじゃ……」
「別に大丈夫よ」
 そう言って重森は微笑んでくれた。その様子は、なりゆきや社交辞令で一緒に行く羽目になったような様子は見られず、心から一緒に行けることを望んでくれているようだ。
 こうして涼花は、重森と一緒にSAKE Springへ行くことが決まる。日程は土曜と日曜で、それぞれ十時からと十四時からの二部制になっているという。相談の結果、土曜の十時からの部に行くことが決まった。

宮田樹希のSAKE Spring

 渡辺涼花は樹希にとって、大学でもアルバイト先でも先輩だ。誕生日プレゼントを贈ったり、同じ店でアルバイトをしたり、「渡辺センパイ」から「涼花センパイ」へと呼び方を変える許可をもらったりしているのだが、なかなか先輩・後輩以上の関係には至れていない。
 後輩の一人として大切にしてくれているのはわかるのだが、恋愛対象として意識してもらえているのかどうか、いまひとつ自信が持てずにいた。
 とはいえ、樹希自身が過去に自分のルックスを活かして面白半分に女の子を落としていた負い目があり、涼花に対して強く踏み込めないという事情もある。ちゃんと相手を見て、誠実な関係を築けるようになりたいと思うからこそ、小手先の恋愛テクニックで強引に迫る真似はできなかった。
 そんな涼花がある日、随分とご機嫌な様子だった。
 でも、その理由が自分ではない誰かであるとなれば心穏やかでは居られない。
 事情を聞けば、アルバイト先である「はなり亭」に時折やってくる重森絢子と一緒に日本酒の試飲イベントへ行くらしい。
 重森は「はなり亭」の顧客にしては珍しく、一人飲みを楽しむ女性だ。そして、そんな彼女に涼花が憧れの気持ちを抱いているのも樹希は知っている。
(涼花センパイと二人で出かけるなんて……俺も行ったことないのに!)
 馬鹿げた嫉妬心だとは理解しつつも、何だか先を越されたようで悔しい。
 店員と客より、先輩と後輩のほうが親しくなれそうなのに。
 樹希と涼花のほうが接する機会が多いはずなのに。
 それなのに重森は、自分よりも先に涼花と二人で出かける機会を作ってしまった!
「えー、何それ! 俺、聞いてないんですけどー?」
 アルバイト先での開店準備中、樹希が不満を漏らしていると、「はなり亭」の店主である御厨喜孝からは意外なひと言。
「ええ機会やし、樹希くんも一緒に行ってきたらわ?」
 何でも、今回のイベントではお酒を試飲しない人用のチケットもあるらしく、二十歳になっていない樹希も堂々と参加できるようだ。
「え、そうなんですか! だったら俺も行きます! 一緒に行きましょう! センパイと一緒だったら俺、酒飲めなくても楽しいです!」
 これ幸いと樹希は畳み掛けるようにアピールし、最終的に同行を許してもらった。

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